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2005/11/24(木) 22:05  蕎麦と言葉

人間は一体どのようにして能力や感覚を身に付けるのであろうか。

身体性のある能力は20年のブランクを乗り越えるようだ。小学生の頃に泳げるようになった人が20年間泳いでいなかったとしても、数時間のリハビリですぐに泳げるよう戻る。自転車に乗る能力も同じようである。一方、言語の能力は毎日使っていないと急速に低下していく。しばらく使わないと、途端に話せなくなる。例えば、戦争で捕虜になったり相手に抑留され、母国語の使用を禁止された人は、母国語を忘れてしまう。

さて、25歳まで母国語以外を使えなかった人間が、抑留されてほんの十数年で母国語を忘れてしまい、新しい言葉を自由自在に扱うということを注意して考察すると、こんなことがわかる。言語活動を見る限り「全く新しい言語を獲得する年齢には上界が存在しない」ともいえる。ということは、初めて自転車に乗れるようになったのはいつなのか、初めて泳げるようになったのはいつかということをいろいろな人にインタビューして聞いてみたいものだ。

ところで、関西出身でありながら関東在住歴が長い僕は、話す言葉はすっかり東京の言葉になってしまったが、聞く言葉なら関西でも関東でもOKだ。しかし、味覚というものは不思議なもので、関西流の味覚がなかなか変わらない。我が妹の味覚と比較すると、どうも、4~7歳のころに関西に住んでいたかどうかで、関西人の味覚が浸みつくかどうかが決まるようだ。

話はちょっと違う話題に入る。

実は、僕は蕎麦好きである。蕎麦といえば信州、あるいは東京の下町のイメージが強く、関西の麺類といえばうどんが常識である。もちろん、うどんも大変おいしいと思うのだが、蕎麦だって美味しい。関西の味覚感覚、すなわち「いかに美味しい味をつけるか」という料理の感覚の反対側に蕎麦があると思う。蕎麦は、引立て、打ち立て、茹で立ての感じが美味。つまり、蕎麦は麺の良さが重要であり、ダシ(タレ、つけ汁)は重要ではない…。

とかいいながら、あることに気がついた。新大阪駅の新幹線乗り場の近くで注文を見ていると、明らかにうどんが多いのだが、在来線側の店では蕎麦を注文する人も多い。さらによく観察すると「うどんを頼むのは非関西人」であって、「関西人っぽいひとは、普通に蕎麦」である。この違和感を関西在住歴が長い関西出身者に聞いてみた。

「そりゃ、蕎麦の方が美味しいからでっせ。」

予想外の、衝撃の解説。そうか。やっぱり蕎麦の方が美味しいのか……と思いながら関西で蕎麦を食べてみると、これが見事にうどんのダシをつかった蕎麦なのだ。そしてうまい。関東で蕎麦のダシ(「真っ黒のおつゆ(←祖母評)」)を使ったうどんは駄目なのと相反する話だ。

話は長くなった。まとめよう。味覚は4~7歳の頃に決定的に何かが決まる。水泳や自転車はよくわからないが、ブランクに耐える。言語はブランクに耐えられず、大人になってからでも新しい言語を身に付けることができる。ということは、味覚も多分、ブランクに耐えそうだ。

なんだかよくわからなくなったけど、この辺で終り。

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